The Wall.

パレスチナ最終日の朝、パレスチナ風朝ご飯をいただき、ホテルが主催しているウォーキングツアーに参加。パレスチナ人によって、「壁」に関する様々なエピソードを語ってもらったり、難民キャンプを案内してもらえるツアーだ。ツアーは、ホテルに泊まっていた日本人と2名だった。彼は、世界一周中らしく、ヨーロッパかアフリカを経由して南米に抜けるみたいな話をしていた。南米!に思いきり食いついてしまった。私はきっと、心のどこかで南米にとてもこだわりがあるようだ。(そして、彼とはあまり話せないままツアーがスタートした。)

ツアーをしてくださったのは、パレスチナ人男性。(名前を失念してしまいました。)もともと別の仕事をやっていたが、このような社会的意義のあるガイドの仕事に共感を覚え、転職したらしい。「このツアーでは、何が起こっているかの事実だけ伝える。どう感じるか、どう思うか、どう行動するかは、すべて君たち次第。」みたいなことを冒頭に言われた。
ホテルの前の壁には、バンクシーのわりと新しい作品である「2人の天使」がいる。この説明から始まり、イスラエル側との間に立つ壁沿いを歩き続けた。説明を受けていた途中、私が「crazy…」と口走ったところ、「そう、crazyなんだよ。そうやって共感してくれる人がいるだけで、僕たちの救いになる。そのhumanityを大切にしてくれ!」と強く迫られて、おおおぉ…という気持ちになった。

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壁は、こんな感じで世界中の人が残したメッセージでずらっと埋め尽くされている。

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かつて、イスラエル兵を平手打ちして逮捕されたパレスチナ人のタミミさんのポートレート。とても大きかった。こちらの絵を描いたイタリア人アーティストの方は、逮捕され、イスラエルから強制退去させられている。このイタリア人アーティストの名前を調べていたんだけど、出てこない…。代わりにBLUというストリートアーティストが出てきて、興味深かった。彼のサイト→https://www.blublu.org/

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こちらはイスラエルのネタニヤフ首相とトランプの絵。一度ピンクのペイントで消されて、ネタニヤフだけ再度描かれている…。もともと両者がキスをしている絵だった。ベルリンにある「兄弟のキス(かつてのソ連と旧東ドイツのトップがキスを交わす絵)」のパロディー?

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『ロバと兵士』の絵。おそらくこれはフェイク…?2018年公開の映画『バンクシーを盗んだ男』でも重要な作品である。参考→映画『バンクシーを盗んだ男』レビュー

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壁じゃなくて、フムスをつくろう~!

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これは、メッシ率いるアルゼンチンのチームがイスラエルでサッカーの試合が開催されたときに、メッシが「パレスチナ側じゃないとゲームしない」と発言したことで、彼の姿勢をたたえた人々が描いた絵。イスラエルとパレスチナを隔てる鎖と、イスラエル国旗を打ち抜くシュート姿が描かれている。

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トランプがキスしているのは、イスラエル軍が駐在している監視塔。

こんな感じで、世界中の人々が、アーティストが、この地を訪れている。写真の通り、絵も印象的だったのだが、もう一つ印象的だったことがある。この壁に親中派と香港の対立がよく見られたことだ。香港の独立を支持する人が「香港加油」と書いている上から、思いっきり親中派が「中国最高!」みたいなことをスプレーで書いている。理不尽な対立を象徴するこの壁上で、さまざまな人が「平和」に向けて前向きなコメントをしている傍から、このような別の対立が可視化されている感じが、とても残念だった。「平和」とか、「相互理解」とか、虚しいな、と思った瞬間である。

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街中には、たくさん鎖が張り巡らされている。上の写真は、パレスチナ人墓地の写真。この近くにイスラエル軍の監視塔があり、イスラエル軍は食べたご飯の殻や飲み物をパレスチナ人側のエリアに捨てているのだ。

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続いて、アイーダ難民キャンプへ。パレスチナ領にいたが、イスラエル軍によって追い出された人々が暮らすキャンプだ。

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入り口の横の壁には、2014年にイスラエル軍によって殺された方々の名前がずらっと並ぶ。アラビア語は読めないけど、同じ文字の並びが4~5ずつあって、家族ごと殺されたものだと説明してもらった。

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狭くて、高い建物が並ぶところが、ニューヨークのマンハッタンと一緒でしょ?とジョークを飛ばすガイドさん。途中、学校帰りの女の子が、元気よく「Hello!」とあいさつしてくれた。沖縄みたいな雰囲気だ。

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難民キャンプの治安はとても安全だとガイドの方が教えてくれた。犯罪は起きないし、宗教関係なくコミュニティがあるし、子供が学校に行っている割合も高いという。

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難民キャンプから見下ろす街。左上のほうには、パレスチナ人墓地。真ん中に分離壁。下には幼稚園も。これにてツアーが終了。ガイドさんに「君たちが僕たちのメディアになる。」と言われた。

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この団体では、いつでもボランティアを募集していて、教えられるものがあれば1週間~2週間、好きにジョインできるらしい。上の写真は、参加者のピンである。ホテルに戻って、アメリカ人に「君が教えられることは何?」と聞かれたが、散々迷って「バスケットボールかバドミントンかな…」しか言えなかった。「日本語?→使わないよな。」「料理?→うーん…。」アメリカ人はアメリカ人で「僕は英語だけど、みんな教えるだろうし…」と悩んでいた。

パレスチナにお別れを告げ、エルサレム行きのバスに乗り込んだ。帰りのバスでは、車内にイスラエル軍が乗ってきてパスポートチェックを受けた。バスの中に機関銃を持った軍が乗り込んでくるのは、眠気も覚める。小一時間バスに揺られて、エルサレムに着いた。

ホステルにチェックインした後、テルアビブに忘れた上着を取りに向かった。往復で2時間くらい。パレスチナでいろいろ見聞きしたことが心に重くのしかかっていたので、適度にやることがある状態で良かった。といってもほぼ移動だったから、ずーん…って感じだったけれども。アメリカ人と話していたように、「イスラエルに戻るのが複雑だよね…」という状態が、まさに続いていた。